神様の話 2018年04月22日 病気の神様? お久しぶりです! 仕事も3月で終わり、のんびりマタニティライフを送っています。 安定期にも入り、今のうちにいろいろなところに行こうと思っていましたが・・・ なんと!沖縄ではしかが大流行!!観光地や人の多いところに行けなくなってしまいました(泣) 取材したかったのに! まあ、気を取り直して。 今日は「はしか」とかけまして、「感染症」の歌を紹介します。 そもそも「感染症」の歌なんてあるの?と不思議に思われますよね? あるんですよ。それには昔の沖縄の人の病気に対する考え方があったからなんです。 それでは、ものがたりをはじめましょう。 昔の沖縄の人たちの怖い感染症のひとつに「天然痘」がありました。 「天然痘」は天然痘ウイルスによる感染症で、非常に強い感染力があり、高熱と発疹が出ます。 さらに、発疹は化膿して膿になり、治ったとしても跡が残ります。 今はワクチンが発明されて、1980年にWHOが地球上からの天然痘撲滅宣言を出してからは感染者は出ていませんが、それまでは致死率が20〜50パーセントという恐ろしい病気でした。 高い致死率と治ったとしても醜い跡が残る天然痘を沖縄の人たちも恐れました。 なんとかかからないようにしたいし、かかったとしても軽くすませたい。 そして、彼らはこう考えました。 「天然痘は神様だ。なんとかもてなして早々にお帰りいただこう。」と。 そんな様子を詠んだのが次の歌です。 うたや さんしんに(歌や三線で) うどぅい はに しちゅてぃ(踊ったり跳ねたりして) ちゅらがさぬ うとぅじ(美しい疱瘡のお相手をして) あすぃぶ うりしゃ(遊ぶのが嬉しい) この歌の「ちゅらがさ(美ら瘡)」というのは天然痘の発疹やかさぶたのことです。 当然美しい訳はないのですが、天然痘の神様を喜ばせるための方便なのです。 今は医療も進歩していて、こんな考えをする人はいませんが、当時は必死です。 なので、こんな歌もあります。 さとぅざとぅに はやる(里々に流行っている) うたまでぃん なまや(歌までも今は) かるく ちゅらがさぬ(疱瘡が軽くなるようにと) うにげ ことば(お願いする言葉ばかりだ) 病気の流行とともに各地で天然痘の歌が詠まれていたことがわかります。 琉歌全集にも今回の2首を含めて9首もあります。 すべてに「ちゅらがさ」とあり、天然痘の神様をもてなす言葉で飾られています。 病気の神様でさえももてなすところは、沖縄らしいところです。 さあ、今回のはしかの流行。 みなさんもお気をつけくださいね。 それでは、また。 コメント(0) Tweet
恋小話 2018年03月10日 帯を巻く回数 〜報告も添えて お久しぶりです。 いろいろあって更新できませんでした。 この「いろいろ」は後で話しますね。 さて、今日のテーマは「帯」です。 帯は着物を着る上で、大切なもので、必ずつけるものです。 今は着物を着る人はなかなかいませんが、昔は着物が普段着なので、帯も身近なものでした。 なので、「帯」に関する琉歌もいくつかあるのです。 その中でも、2つの琉歌を見てみましょう。 まずはこの歌から。 さとぅめ うむゆんでぃ(あなたのことを思うあまり) がまく やしはてぃてぃ (腰まわりが痩せ果てて) たまい ある うびぃぬ(2回り巻けた帯が) みまい なたさ(3回りになってしまった) 歌の中に「さとぅ(里。女性が男性の恋人の呼びかける言葉。)」とあるので、これは女性が詠んだ歌と考えられます。 愛する人を思うあまり、痩せてしまったというのを帯を巻く回数であらわしていますね。 この表現は琉歌特有のものではなく、和歌などでもみられます。 また、美空ひばりの「みだれ髪」という歌の歌詞にも同じような表現があります。 では、先ほどの歌では帯が「2回りが3回り」になりましたが、逆に「3回りから2回り」になった歌があるのです。 これが、次の歌です。 さとぅが しなさきぬ(あなたの情が) みに しみてぃ さらみ(身にしみたからか) みまい ある うびぬ(3回りあった帯が) たまい なたさ(2回りになってしまった) これも「さとぅ」なので、女性です。 さて、ここで問題です。 この女性はなぜ帯が「3回りから2回り」になったのでしょうか? ヒントは歌の中にあります。 「さとぅがしなさきぬ みにしみてぃさらみ(あなたの情が 身にしみたから)」つまり、「あなたに愛されたから」ということ。 女性が愛されて、お腹周りが大きくなった・・・つまり、この女性は妊娠したということなのです。 このように、帯を巻く回数でいろいろな状況を詠むことができるのです。 さて、今回この話をしたのは理由があります。 私も現在「3回りから2回り」状態なのです。 今は妊娠5カ月になります。 去年の年末にわかった時には驚きましたが、嬉しかったです。 幸いにも、つわりや大きな体調不良も無かったのですが、仕事も続けながらなので、このブログの更新がなかなかできなかったのです。 4月からは仕事をお休みするので、もう少し更新できると思います。 今後とも「えのさんの琉歌ものがたり」をよろしくお願いします。 コメント(0) Tweet
お祝いの歌 2018年01月01日 お正月の歌 あけましておめでとうございます。 新しい年のはじまりですね。 今回は新年なので、新年にふさわしい歌を紹介します。 めでたい歌といえば「かぎやで風」ですね。 以前紹介した歌詞以外にもいろいろあって、そのなかでもお正月にふさわしいものがあるんです。 それが、下の歌です。 あらたまぬ とぅしに(新しい年に) たんとぅ くぶ かざてぃ(炭と昆布を飾って) くくるから しがた(心から姿まで) わかくなゆさ(若くなったようだ) ここで「なんで、炭と昆布を飾るの?」と思った人もいらっしゃるかと思います。 つまり「たん(炭)とよろこぶ(昆布)」という語呂合わせから縁起が良いとされていたんですね。 昔から新年に縁起が良いものを飾って、一年の幸せを祈っていたんですね。 いかがでしたか? ことしも「えのさんの琉歌ものがたり」では、琉歌のおもしろさを伝えていきます。 ことしもよろしくお願いいたします。 コメント(0) Tweet
小話 2017年12月29日 今年もお世話になりました 2017年ももうすぐ終わりですね。 みなさんにとってはどんな年になりましたか? 私はこのブログをはじめて、いろいろ調べたりして琉歌の良さを再確認したり、たくさんの人に見てもらって琉歌を知ってもらえて、いい年だったなぁと思います。 ただ、後半は仕事やいろいろあって更新が途絶えがちになってしまったのは反省です。 来年も琉歌の良さを伝えるために頑張ります。 なので、次の更新は元日です! お題はズバリ「正月の歌」です。 ぜひ、ご覧ください。 それではみなさん。良いお年をお迎えください。 コメント(0) Tweet
家族のはなし 2017年11月15日 嫁と姑 今回は嫁と姑のお話です。 嫁と姑は世間では対立するものとされています。 ワイドショーでもたびたび取り上げられたり、ドラマでも嫁姑問題を描くものがあります。 これは今に限ったことではなく、約1000年前に書かれた清少納言の「枕草子」で、「ありがたきもの(めったにないもの)」として、「舅(しゅうと)にほめらるる婿。姑に思わるる嫁。」とあるように、昔から定番の話なのだということがわかります。 今回はどんなお話になるでしょうか。 さあ、ものがたりをはじめましょう。 むかしむかし、ある夫婦がいました。 ふたりはとても仲良しでしたが、ひとつ悩みがありました。 それは、二・三年たっても子どもができなかったのです。 今では子どもを産まないことを選択する夫婦は認められる時代ですが、このころは「3年子無きは去れ」なんていう時代です。 そのうち、嫁は姑に「子どもができないから、出ていきなさい」と言われてしまいます。 それでも、嫁は仕方ない事だと思い、耐えていました。 そんなある日。 嫁はなすびに水をあげて手入れをしていました。 すると、姑がそばを通りました。 姑は嫁を見るなり「あなたが手入れしてもなすびはならない。いますぐ出ていきなさい」と言い放ちました。 この時、今まで耐えてきた事があふれ出し、嫁はなすびに向かって、泣きながら歌を詠みました。 なりよなり なすぃび(なってくれよ、茄子よ) しとぅぬやぬ なすぃび(姑の家の茄子よ) ならなしゅてぃ なすぃび(実らなかったら、茄子よ) ゆみな たちゅみ(嫁としての面目が立たない) そうして、嫁は実家に帰っていきました。 しかし、時々夫は嫁に会いに行っていたのでした。 そうしているうちに、嫁は妊娠して、男の子を産みました。 夫婦は子どもが生まれたことを姑に報告しました。 姑も思うところがあったのでしょう。 素直に「私が悪かった」と謝り、嫁を家に戻し、みんな一緒に幸せに暮らしたそうです。 いかがでしたか。 それぞれの立場でいろいろ思うところはあるでしょうが、ひとまずめでたしめでたしですね。 まあ、嫁も姑も同じ人であるわけで、まずはお互いのことを知って、思いやる事が大事ということです。 では、今回のお話はこれでおしまい。 次回は引き裂かれた夫婦のお話シリーズです。 お楽しみに。 コメント(0) Tweet
人物伝教訓那覇 2017年10月18日 道楽者への戒め 与那原親方良矩と宮平良綱 さて、今回のお話は「道楽者への戒め」です。 いつの世も遊んでばかりいる人はいるものです。 仕事や学業もしながら遊ぶのはいいのですが、人に迷惑をかけてはいけません。 今回の話は遊んでばかりの放蕩者の甥っ子を、おじさんが注意するというお話。 さあ、どうなることやら。 ものがたりをはじめましょう。 与那原親方良矩(よなばるうぇーかたりょうく)は第二尚氏王統第14代王尚穆(しょうぼく)、第15代王尚温(しょうおん)の時代の三司官(大臣)です。 仁徳が優れていて、君子親方と呼ばれるほどの人物でした。 そんな彼には宮平良綱(なぁでぇら りょうこう)という手のつけられないほどの放蕩者の甥がいました。 ある時、その甥の宮平の素行があまりにもひどいので、家族たちは彼を座敷牢に閉じ込めてしまいます。 それでもいうことをきかない宮平に、ほとほと困り果てた家族たちは、与那原親方に助けを求めます。 与那原親方はさっそく宮平家を訪れます。 そして、甥のいる座敷牢に行きました。 暗い座敷牢に、宮平は縄で縛られた状態で座っていました。 甥っ子は叔父の訪問にも動揺せず、威嚇するように睨みつけています。 与那原親方は臆することなく、静かに懐紙に次のような歌を書いて宮平に渡しました。 くぬな とぅち くぃらば(この縄を解いたなら) またん むつぃりゆみ(女におぼれることをやめるか) じりや すむからぬ(義理に背くことができないのが) うちゆ やすが(世の中というものだ) 世の中を生きていくには、義理を通すことが大事だと歌で説いたのです。 しかし、宮平は鼻で笑い、こう反論します。 じりとぅむてぃ くいじ(義理と思って恋を) わすぃらりてぃ からや(忘れられるならば) ぬゆでぃ ふみまゆてぃ(何で道を踏み迷って) うちな たちゅが(浮名をたてるようなことをするものか) 宮平は「義理を通して、恋をできるものか!義理よりも恋が大事だ!」といったわけです。 言ってやったとばかりに叔父の与那原親方を睨みます。 しかし、ここは君子親方と呼ばれた与那原親方。 こう詠んで、甥っ子を諭しました。 じりもふみたがぬ(義理も踏み違えず) しなさきん つぃくち(愛情も尽くす) うちゆわたゆすぃどぅ(両方調和させて世の中を渡るのが) ふぃとぅぬ かなみ(人のかなめというものだ) つまり、「義理も恋も両方大事だ。両方をうまくやっていくのが人として大切なことだ。」とつたえたのです。 これを聞いた宮平は目から鱗が落ちました。 その後から、宮平は心を入れ替えて、日夜勉学に励んで、三司官になりました。 また、昔の放蕩ぶりからは想像できないほど非常に義理固い人となり、知人の間では「頑固親方(クフッーウエーカタ)」とまで言われたそうです。 いかがでしたか? 歌で諭すなんて、昔の人は粋なことをするものです。 ただただ小言を言われるよりも、面白さがあって、素直に聞けそうな気がしませんか? ちなみに、与那原親方良矩は44首の歌を詠んでいます。 これは琉歌を詠んだ人の中で一番の多さです。 彼は84歳まで生きたので、これほど多くの歌を残せたのでしょう。 また、与那原親方良矩の生家跡が、沖縄都市モノレールの儀保駅の首里向けの道路側の階段の横にあります。 案内板が立っているので、訪れた際にはご覧ください。 そして、与那原親方良矩は、機会があれば「人物伝」で取り上げていきます。 では、今回のお話はこれでおしまい。 次は嫁と姑のお話です。 ご期待ください。 コメント(0) タグ :人物伝首里与那原親方良矩宮良良綱教訓 Tweet
季節の歌 秋 2017年10月15日 紅葉の歌 10月も半ばです。 秋ですね。 秋といえば、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。 美味しい食べ物、読書や芸術、スポーツなどいろいろありますね。 今回は秋といえばこれでしょう!ということで「紅葉」の歌を紹介します。 そもそも沖縄にはほとんど紅葉する植物はありません。 しかし、例外があります。その代表的なものが「ハゼの木」です。 ハゼの木はウルシ科の植物で、沖縄の森の中でもよく見られます。 そして、冬になると赤く紅葉します。 緑の中に鮮やかな赤が浮かぶ様子は琉歌にも詠まれています。 琉歌の中の「紅葉」はだいたいが「ハゼの木」を指します。 さあ、この紅葉の歌にはどのようなものがたりがあるのでしょう。 ものがたりをはじめましょう。 神村親方という方がいました。親方(うぇーかた)というのは役職の名前で、今でいう長官みたいな役職です。 その人が内兼久山(うちがにくやま)のそばの家を通りかかった時でした。 家の中で若い女性が布を織っているのが見えました。 女性は大変美しく、神村親方は思わず足を止めて見入ってしまいました。 しかし、身分のいい人が、女性に見とれていたとは言えません。いい噂の種となってしまいます。 そこで、神村親方は紅葉に寄せて歌を詠みました。 いすぐみち ゆどぅでぃ(急ぐ道ではあるが) みるふどぅん ちゅらさ(見れば見るほど美しい) うちがにくやまぬ(内兼久山の) はじぬ むみじ(ハゼの紅葉よ) こう読むことで「私は女性を見ているのではない。きれいな紅葉を見ているだ」と示しているわけです。 偉い人でも人の子。美人には弱いようです。 また、この歌には別のお話もあります。 与那原親方良矩(よなばるうぇーかたりょうく)という人の話です。 彼は優れた文学者で、たくさんの琉歌を残しています。 その人が用事の帰り道で、これまた内兼久山を通った時に、なんとハゼの木で首をつって自殺してしまった人を見つけてしまいました。 当時は見ていることを死体に知られると、祟られるという言い伝えがあったようです。 そこで、与那原親方はさっきの歌を詠んで「私はあなたを見ていない。紅葉を見ているんだよ。」と思わせ、祟りを回避したというお話もあります。 そして、「ハゼの紅葉」の歌としては、以前書いた「幽霊が詠んだウタその1 よしや ( http://enosan.ti-da.net/e9796871.html )」にも、 いすぐみち ゆどぅでぃ (急いでいる道なのに道草なんて) みぬふどぅん つぃらさ(身の程が辛い) うちがにくやまぬ(内兼久山の) はじぬ むみじ(ハゼの紅葉よ) という歌があります。 ちなみに、「内兼久山」は、那覇市の久米にあり、ハゼの木が多くあったようです。 では、今回はここまで。 ハゼの木に興味がある方は調べてみてください。 次回は2番目の話に出てきた、与那原親方良矩のお話。 ご期待ください。 コメント(0) タグ :季節の歌秋紅葉人物那覇内兼久山与那原親方良矩神村親方よしや Tweet
歌碑 2017年10月01日 いつの日にかまた・・・ 今回も新しいカテゴリーを設けました。 「歌碑」では実際に歌碑に行って、その歌碑にまつわるものがたりを語っていこうというものです。 今回の歌碑があるのは那覇市の泊。 とまりんの近くに「泊高橋」という橋があります。 この橋は国道58号線にあり、その橋の海側のところにぽつんと歌碑があります。 この歌碑には、 とまりたかはしに (泊高橋に) なんじゃじふぁ うとぅち(銀のかんざしを落としてしまった) いちが ゆぬあきてぃ(いつの日か夜が明けて) とぅみてぃ さすら(探してさす事ができるだろうか) と書いています。 この歌碑に隠された物語とは? ものがたりをはじめましょう。 この歌を詠んだのは平敷屋朝敏(へしきや ちょうびん)のこども(諸説あり)といわれています。 平敷屋朝敏は第2尚氏王統の第13代国王の尚敬王の時代(約17世紀頃)の政治家でした。 彼は和文学に秀でていて、よしやの事を書いた「苔の下」や、組踊で唯一の恋愛物の「手水(てみじ)の縁」を作っています。 琉歌もたくさん詠んでいて、伝説も多いので、今後「人物伝」で紹介する予定です。 さて、有能で風流な平敷屋朝敏でしたが、熱血漢でもあったようです。 この時の最高の役人の蔡温を批判した文書を、役所に投げ入れた罪で処刑されてしまいました。 しかし、彼の罪はこれだけでは許されませんでした。 妻やこどもたちも宮城島に島流しにされることになります。 そのときに、こどもが詠んだのがこの歌です。 ちなみに、歌の中に「なんじゃじふぁ(銀のかんざし)」という言葉がでてきます。 実は当時は身分によって、かんざしの素材や形状が決められていたため、銀のかんざしは、士族しかさすことを許されていませんでした。 自分の身分をあらわすかんざし。 いままで、士族として誇りを持って生きてきたのに。 それを無くしてしまった。 そして、いつ戻れるかもわからない・・・・ その寂しさはどれほどのものだったのでしょうか。 また、べつの解釈として「なんじゃじふぁ」を「大切な女性」と読むものもあります。 そうなるとまた、違う味わいがあります。 近くに寄ったら、訪れてみるものいいかもしれません。 今回のものがたりはこれでおしまい。 次は季節感を出して、秋の歌を紹介します。 コメント(0) タグ :歌碑平敷屋朝敏那覇市泊高橋 Tweet
恋悲話人物伝 2017年09月24日 尚徳王女と幸地里之子 その2 さて、尚徳王女と幸地里之子(こうちさとぬし)の恋は静かに確実に育っていきました。 いつしか2人はお互いの存在なしでは生きられないと感じるようになっていました。 若いこともあり、2人は多少の危険が会っても会うようになっていました。 そうしていたからでしょうか。 ついに、2人の関係が尚徳王の知るところとなってしまいます。 尚徳王は下っ端役人が王女をたぶらかしたと思い込み、激怒しました。 そして、幸地里之子を捕らえて死刑を宣告し、あまつさえ彼が育てた花を根こそぎ処分しました。 王女は泣きながら父を説得しますが、王は頭に血が上りやすく、一度決めたことは絶対曲げない人だったので、判決を覆すことはありませんでした。 そして、とうとう幸地里之子は識名(しきな)の馬場で処刑されてしまいました。 幸地里之子の死を知った王女の悲しみはとても大きなものでした。 ずっと泣いて、泣き続け、やがて涙も枯れ尽くしました。 一日中ただ、惚けたように座っているだけ。生ける屍と化していました。 王女がそのように過ごしていたある雨の晩のことでした。 全てが寝静まり、雨の音だけが聞こえていました。 王女はふと誘われるように彼が手入れをしていた庭にきていました。 彼が大切に育てた花たちが咲いていた庭。 彼と出会ったところ。 雨に濡れた美しいカタカシラ。 緊張しながらも、一生懸命気持ちを伝えてくれた時の声。 そして、優しい笑顔・・・・l 王女は雨に打たれながら、彼との思い出を思い出していました。 そしてふと、周りを見ました。 花があふれていた庭は跡形もありません。 ただ、むき出しの土に冷たい雨が打ち付けているのです。 王女は泣きました。 涙は枯れたと思っていたのに、どんどんあふれてきます。 声にならない叫びが胸を押しつぶします。 どれくらいそうしていたでしょうか。 雨はあがっていました。 もう、王女は涙も叫び声すらも出てきません。 王女は呆然と虚空を見つめて、歌をつぶやきました。 しぬび あらわりぬ(密かに愛しあったことが知れた罪は) わみふぃちゅい あらな(私一人だけがかぶればいい) はなまでぃん みくし(あの方の花までひどいことになるなんて) ふぃちゅら とぅみば(心苦しくてたえられない) 雲の隙間から月が顔をのぞかせました。 王女は何かを決心した顔で城壁に登りました。 城壁に立った彼女の衣を風が揺らしています。 そして、風がやんだ刹那、彼女は舞い上がるように飛び降りました。 花のような笑顔を浮かべて、彼の元へ飛んでいくように。 王女が自殺したことは王の意向で伏せられました。 内容が不名誉なものであるため、尚徳王女の名は記録からも消されてしまいます。 しかし、人の口に戸は立てられません。 いつしかその話が広まり、それを聞いた人がこんな歌を詠みました。 てぃんぬにに とぅびゅる(天の近くを飛んでいる) わしん くまたかん(ワシもクマタカも) ぬはらすむとぅいに(野原のような低いところに住む鳥と) うてぃてぃ すゆさ(落ちて一緒になるものなんだなぁ) 身分が高い人でも低い人でも、人は誰でも人を好きになるものだということです。 さて、荒らされた2人の庭には、こぼれ種でもあったのでしょうか。 一輪の花が咲いていました。 風に揺られて、日を浴びて輝いています。 これからすぐ起こる動乱なんか関係ないと言うように、自由に。気高く。 いかがでしたか。 今回は実在していない人物ということで、民話を元に脚色を加えて、物語のように仕上げました。 この二人の話は前から好きで書きたいと思っていたので、私も書いてて楽しかったです。 さて、 2人の歌をみると、尚徳王女の歌はストレートに気持ちを表現していて、幸地里之子は一歩引いて敬っているような歌となっています。 身分の差もというのもありますが、王女の素直さや幸地里之子の真面目さを表しているようにも思えます。 また、尚徳王女の歌の中には「さとぅ(里)」とか「さとぅめ(里前)」とあり、幸地里之子のには「んぞ(無蔵)」とあります。 これはそれぞれ恋人を呼ぶ時に使うものです。 わかりやすくいうと「ダーリン」とか「ハニー」といったところでしょうか。 琉歌の恋歌にはよく使われる表現ですが、それがあることによって、二人の関係の親密さがわかります。 昔は身分があって自由に恋ができなかったもの。 この2人がもし今生まれ変わっていたら、幸せに暮らしているかもしれません。 なんて考えるのも面白いですね。 では、今回のお話はこれまで。 次は歌碑を紹介します。 おたのしみに! コメント(0) タグ :人物尚徳王女幸地里之子恋悲話 Tweet
恋悲話人物伝 2017年09月21日 尚徳王女と幸地里之子 その1 今回は「人物伝」というカテゴリーを作りました。 実際に生きていた人々や伝説の人々が詠んだ歌を紹介して、その物語を語っていきます。 第1回目は「尚徳王女と幸地里之子(こうちさとぬし)」です。 琉歌を知っている人は、なぜ有名な恩納ナビーやよしや(吉屋チルーとも)などからでは無いのかと思われるかもしれません。 有名どころではないこの二人を選んだ理由は二つあります。 一つ目は、恩納ナビーやよしやはたくさん研究されているし、知っている人も多いので、私がもう少ししっかり勉強してから語っていきたいと思ったからです。 二つ目は、尚徳王女と幸地里之子はそこまで有名ではないですが、二人の歌はとてもストレートで共感する歌だからです。 というわけで、まず、物語を語る前に二人の紹介をしましょう。 尚徳王女は第一尚氏王統の第7代の尚徳王の娘とされていますが、それは伝説で実在しなかったといわれています。 なぜかというと、尚徳王が29歳で謎の死を遂げているからです。 29歳で亡くなる彼に年頃の娘がいるというのは考えられません。 また、『球陽(きゅうよう)』、『中山世譜(ちゅうざんせいふ)』、『遺老説傅(いろうせつでん)』などの歴史書にも、尚徳王に娘がいたという記述はないのです。 あくまで推測ですが、尚徳王は自ら喜界島(きかいじま)に遠征して平定するほど強い王でしたが、人の意見を聞かないところもあったそうです。 彼の死後、金丸がクーデターを起こして第一尚氏王統は終わります。 そこで、第二尚氏王統側が尚徳王の横暴な性格を強調するために、この物語ができたのではないかと思われます。 一方の幸地里之子は実在していた人物のようです。 花当(ハナタイ)という役職で、お城の庭の手入れをする仕事だったようです。 里之子なので士族ではありますが、あまり身分は高くありません。 説明はこのくらいにしましょう。 今回のお話は民話をベースにして、私が少々脚色を加えました。ご了承ください。 それでは、ものがたりをはじめましょう。 ある雨の日のことでした。 尚徳王女は二階から空を見ていました。 暗い雨雲からしとしとと雨が降り、気持ちもなんとなく沈んできます。 「あー。たいくつ・・・・。」 今は尚徳王の御代。自ら軍を率いて喜界島を平定した、猛々しい王の娘である王女は、何不自由なく暮らしています。 それなのに何かが足りないと彼女は思っていたのでした。 空から降る雨はしばらく止みそうにありません。 王女は空から庭へと目線を移した時でした。 庭の植え込みに人影があります。 「こんな雨の日に誰かしら。」 目を凝らして見てみると、 どうやら花当(ハナタイ)のようです。 うつむいて一心不乱に花の世話をしているようです。 「なんだ。ハナタイか。」 そう思って、目をそらそうとした時でした。 ハナタイが顔を上げました。 王女より少し年上でしょうか。 涼しげな目元にきりりと結んだ口元。 そして、きちんとといて結い上げられたカタカシラ(当時の男性の髪型)が雨に打たれて、少しほつれています。 彼を見るなり、王女は雷に打たれたような衝撃を受けました。 王女の周りには女官や役人のおじさんしかいませんでした。 同年代で、こんなに美しい男性がいるなんて! 王女はどうしても声をかけたくなり、とっさに自分の手ぬぐいを彼に投げました。 手ぬぐいは彼の頭上に落ちました。 彼はそれを手にとって、王女を見上げます。 一瞬戸惑ったようでしたが、王女の部屋であることに気づいたのでしょう。 すぐに平伏しました。 王女は彼に歌を詠みました。 あけずばに んすや(トンボの羽のような衣は) ぬりらわん びけい(濡れても仕方ないが) さとぅが かたんちょび(あなたのカタカシラが) ぬらすちゃくとぅ (濡れるのは心が痛む) 依然として彼は頭を下げたままです。 「頭を上げてください。私はあなたのことが知りたいの。名前はなんというの。」 「こっ、幸地(こうち)と申します。」 「そう。ねえ、もっともっとあなたのこと教えて。」 そこから2人の手紙のやり取りがはじまるのでした。 それから、二人は人目を忍んで歌を取り交わすようになりました。 はじめは王女からの誘いに戸惑っていた幸地里之子も、はじめて見たときの高貴な美しさと可憐な笑顔、そして手紙から伝わる優しさに、畏れ多いと感じながらも好意を抱くようになりました。 しかし、王女と下っ端の役人。 身分違いの恋は会うのもままなりません。 あるとき、幸地里之子が丹精込めて育てた花がキレイにさいたので、王女に花を贈りました。 すると、すぐに手紙が届きました。 みると、 はなたいぬ さとぅめ(ハナタイの貴方様) はなむたち たぼち(花を送ってくださったのですね。ありがとうございます) はなむたさ ゆいか(だけど、花をくださるよりも) うんじゅ いもり(貴方様がいらしてほしかったわ) と書いてあります。 王女が可愛らしくすねている姿が目に浮かぶようです。 幸地里之子はどうしようかためらっていると、また手紙が届きました。 はなとぅみば さとぅめ(あなたの愛情が花のように一時的なものなら) はなむたち たぼり (花をください) いつぃまでぃん とぅみば(いつまでもとお思いなら) うんじゅいもり (あなたがいらっしゃってください) と書かれています。 王女も幸地里之子との関係が周りに知れたらどうなるかは知っています。 それでも、彼に会いたくて仕方がなかったのです。 それは幸地も同じ気持ちでした。 危険を承知で、彼は王女の住む奥御殿に忍んで行きました。 王女は彼を見るなり、ぱっと顔を輝かせ、花よりも美しい笑顔で彼を迎えました。 幸地里之子はすぐにでも抱きしめたい気持ちにかられましたが、恋人とは言え、相手は王女様。 彼はうやうやしく頭を下げます。彼は真面目な男なのでした。 そして、次のような歌を詠みました。 たまぬ みすぃだりや (美しいすだれは) しらくむに みなち (白雲にみなして) うちにめる んぞや(その中にいらっしゃる愛しい王女さまは) うつぃち みなす(お月さまとみなします) 王女はこれを聞いて、恋人なのによそよそしい態度をとる幸地里之子を、歯がゆく思います。 王女は身分など関係なく愛して欲しいのです。 そこで、王女は幸地里之子にこうかえします。 ぬがすぃどぅく さとぅや(どうしてあなた様は) くいにじりたてぃる (恋に義理を立てようとなさるのですか) たかさある きかち(高い木の垣に) つぃゆや ふらに(露は降らないとお思いですか) つまり「身分高くたって恋はするの!身分なんて関係ない」ということです。 さすがにこれを言われて、幸地里之子もわかったようです。 しばし気がねなく語らいを楽しみました。 そんなこんなで、なかなか会えない秘密の恋でしたが、二人はどんどん思いを深めていきます。 しかし、そんな幸せも長くは続かなかったのです。 さて、今回はここまで。 二人の恋の行方はどうなるのでしょう。 それはまた、次回のお楽しみ。 コメント(0) タグ :人物尚徳王女幸地里之子恋悲話 Tweet