教訓人物伝那覇
道楽者への戒め 与那原親方良矩と宮平良綱


さて、今回のお話は「道楽者への戒め」です。
いつの世も遊んでばかりいる人はいるものです。
仕事や学業もしながら遊ぶのはいいのですが、人に迷惑をかけてはいけません。
今回の話は遊んでばかりの放蕩者の甥っ子を、おじさんが注意するというお話。
さあ、どうなることやら。
ものがたりをはじめましょう。
与那原親方良矩(よなばるうぇーかたりょうく)は第二尚氏王統第14代王尚穆(しょうぼく)、第15代王尚温(しょうおん)の時代の三司官(大臣)です。
仁徳が優れていて、君子親方と呼ばれるほどの人物でした。
そんな彼には宮平良綱(なぁでぇら りょうこう)という手のつけられないほどの放蕩者の甥がいました。
ある時、その甥の宮平の素行があまりにもひどいので、家族たちは彼を座敷牢に閉じ込めてしまいます。
それでもいうことをきかない宮平に、ほとほと困り果てた家族たちは、与那原親方に助けを求めます。
与那原親方はさっそく宮平家を訪れます。
そして、甥のいる座敷牢に行きました。
暗い座敷牢に、宮平は縄で縛られた状態で座っていました。
甥っ子は叔父の訪問にも動揺せず、威嚇するように睨みつけています。
与那原親方は臆することなく、静かに懐紙に次のような歌を書いて宮平に渡しました。
くぬな とぅち くぃらば(この縄を解いたなら)
またん むつぃりゆみ(女におぼれることをやめるか)
じりや すむからぬ(義理に背くことができないのが)
うちゆ やすが(世の中というものだ)
世の中を生きていくには、義理を通すことが大事だと歌で説いたのです。
しかし、宮平は鼻で笑い、こう反論します。
じりとぅむてぃ くいじ(義理と思って恋を)
わすぃらりてぃ からや(忘れられるならば)
ぬゆでぃ ふみまゆてぃ(何で道を踏み迷って)
うちな たちゅが(浮名をたてるようなことをするものか)
宮平は「義理を通して、恋をできるものか!義理よりも恋が大事だ!」といったわけです。
言ってやったとばかりに叔父の与那原親方を睨みます。
しかし、ここは君子親方と呼ばれた与那原親方。
こう詠んで、甥っ子を諭しました。
じりもふみたがぬ(義理も踏み違えず)
しなさきん つぃくち(愛情も尽くす)
うちゆわたゆすぃどぅ(両方調和させて世の中を渡るのが)
ふぃとぅぬ かなみ(人のかなめというものだ)
つまり、「義理も恋も両方大事だ。両方をうまくやっていくのが人として大切なことだ。」とつたえたのです。
これを聞いた宮平は目から鱗が落ちました。
その後から、宮平は心を入れ替えて、日夜勉学に励んで、三司官になりました。
また、昔の放蕩ぶりからは想像できないほど非常に義理固い人となり、知人の間では「頑固親方(クフッーウエーカタ)」とまで言われたそうです。
いかがでしたか?
歌で諭すなんて、昔の人は粋なことをするものです。
ただただ小言を言われるよりも、面白さがあって、素直に聞けそうな気がしませんか?
ちなみに、与那原親方良矩は44首の歌を詠んでいます。
これは琉歌を詠んだ人の中で一番の多さです。
彼は84歳まで生きたので、これほど多くの歌を残せたのでしょう。
また、与那原親方良矩の生家跡が、沖縄都市モノレールの儀保駅の首里向けの道路側の階段の横にあります。
案内板が立っているので、訪れた際にはご覧ください。
そして、与那原親方良矩は、機会があれば「人物伝」で取り上げていきます。
では、今回のお話はこれでおしまい。
次は嫁と姑のお話です。
ご期待ください。