人物伝怖い話
幽霊が詠んだウタ その1 よしや




夏ですね。
沖縄ではこれでもかというほど青い空に凶暴な日差しが降り注ぎ、体をまとわりつくような湿気が取り囲み・・・まあ、とにかく、暑い!!
というわけで、今回は涼しくなるような怖い話がテーマです。
題して「幽霊が詠んだ歌」シリーズ!
信じるか信じないかはあなた次第ですが、民話や伝説などで幽霊が詠んだといわれる3つの歌を紹介します。
これで、少しは涼しくなるかも・・・?しれません。
第一回目はよしや(よしやチルーとよばれることも)の話です。
よしやは辻(遊郭があった場所)の類尾(ジュリと読む。遊女のこと)で、琉歌の名人として名高い女性です。しかし、苦悩のうちに若くしてなくなっています。
なにしろ琉歌のレジェンド的存在なのでさまざまな研究がなされています。彼女についてはまたの機会に詳しくお話しすることします。
今回はそんな彼女が死後歌ったという伝説がある歌のお話をします。
いくつか話と歌が伝わっているので、つなげてひとつの話としてお話しましょう。
よしやは18歳から19歳で亡くなったといわれています。自殺でした。
原因は仲里按司という想い人がいたのに、よしやの楼主(遊女の仕事場兼住宅である妓楼を束ねる女性。ジュリアンマーと呼ぶ)は、無理やりお金持ちに身請けさせようとしたからでした。
彼女の遺骨は故郷の読谷山間切久良波村(今の恩納村字久良波)に葬られることになり、わら袋に入れられて運ばれました。
まず、一行は那覇の久米の内兼久山(うちかねくやま)を通ります。
その頃この場所では毛遊びの真っ最中。
運んでいた男たちは休憩がてら遊びに参加することにし、よしやの遺骨をハゼの木(ウルシ科の植物。沖縄の植物では珍しく紅葉する)の枝に掛けます。
すると、掛けたと同時に遺骨からこんな歌が聞こえてきます。
いすぐみち ゆどぅでぃ(急いでいる道なのに道草なんて)
みぬふどぅん つぃらさ(身の程が辛い)
うちかでくやまぬ (内兼久山の)
はじぬむみじ (ハゼの紅葉よ)
これを聞いた男性たちはびっくり。
旅路を急ぎます。
そして今度は崎山町の大きな建物の前につきました。
首里の坂道を上がってきた一行はここで休憩しようということになり、遺骨を下ろして休みました。
さて、同じ頃。建物の中には、王様と家臣たちがいて完成を祝って宴をしていました。
できたての建物と美しい庭を見て王様は大満足。
この素晴らしい場所にふさわしい名前を付けようとしますが、どうにもいい名前が浮かびません。
悩む王様と家臣達。
すると、風に乗って美しい女性の声でこんな歌が聞こえてきました。
うがでぃ うがみぶしゃや(拝謁してもまた拝謁したいのは)
しゅいてぃんがなし (首里におわします王様ですが)
あしでぃ うちあがゆる (遊んでさらに盛り上がるのは)
うちゃやうどぅん (御茶屋御殿でございます)
これを聞いた王様は感激し、この歌を歌ったものを聞きますが誰も出てきません。
家臣たちに調べさせると、門の前から聞こえたとのこと。
門の前にはわら袋を傍らに置いて休んでいる男性たちがいました。
家臣は男性たちに事情を聞きます。男性たちは内兼久山のこともあったので、よしやの遺骨が歌を詠んだに違いないといいます。
家臣はこのことを王様に伝えました。
歌人よしやの評判は王様も知っていました。これほど見事な歌はよしやが詠んだに違いないと考えます。
そして、この建物を御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)と名付けました。
なお、御茶屋御殿というのは首里城の南側の崎山町にあった王様の別荘のことです。
高台にあり景色もいいので、国賓をもてなすときにも用いていた場所です。
さて、一行は宜野湾につきました。
通りかかった松の下ではまたまた毛遊びが行われています。
男性たちはまたしても休憩がてら参加しようと松の枝に遺骨を掛けました。
三線が鳴り響き、踊りも盛り上がり、歌が交わされます。
そんな時誰かが歌を間違えました。
すると、遺骨から楽しげに歌が聞こえてきました。
ゆしやうみちるが (よしや思鶴が)
うたぐいうちだしば (歌声を出せば)
まかびとぅび とぅいや(飛びかっている鳥も)
ゆるいちちゅさ (休んで聞いているよ)
その場の人たちの反応は知りませんが、よしやはその場を楽しく思い、盛り上げようと思わず詠んだのでしょうか。
さあ、そんなこんなをしているうちに、故郷に到着しました。
彼女は丁重に墓に葬られました。
しばらくして、楼主が墓参りにきました。
稼ぎ頭がいなくなったからなのか、本当に悪い事をしてしまったと思ったのかわかりませんが、お茶と花を供えて泣きました。
すると、墓からよしやの声で
いきちょたるえだや (生きていた間は)
わみすそににしょち (私を粗末に扱って)
しにばかんしょじょに (死んでから墓の門に)
かゆてぃぬしゅが (通って何になるのか)
と聞こえてきました。
楼主がその後どうしたのかはわかりません。
一説にはこの歌は死ぬ時に詠んだと伝えられています。
今回は長いお話となりましたが、どうでしたか?
死んでなお歌を詠んだよしや。
彼女の死後の歌は歌人としてのすごさだけでなく、彼女の人となりや思いを伝えるものになっています。
歌を通してよしやを感じられるからこそ、現在まで語り継がれているのでしょう。
さて、今回はものがたりで出てきた御茶屋御殿に行きました。
見事な建物と庭は沖縄戦で破壊されてしまい、今はカトリック教会が建っています。カトリック教会の向かいのガジュマルの下に案内板があります。
また、少し離れた公園にシーサーが残されています。少しとぼけたような顔の愛嬌のあるシーサーです。
会いに行ってみてくださいね。
公園からの眺めも最高で、那覇の街並みが見渡せて、晴れていれば慶良間諸島も見えますよ。
次のお話も「幽霊が詠んだウタ」です。
今回のより少しだけ怖いかも??
ご期待ください。