歌碑小話人物伝
平成から令和へ
こんにちは。えのです。
今日で「平成」が終わり、明日から「令和」になりますね。
それにちなんで、今回は今の天皇陛下が詠まれた琉歌をご紹介させていただきます。
若輩者の私が、畏れ多くも天皇陛下の歌をご紹介することに不快感をもつ方もおられると思いますが、お許しください。
どうしても許せそうにない方はここで引き返すことをおすすめします。
では、ものがたりをはじめましょう。
陛下が詠んだ琉歌で、みなさんの記憶に新しいのは、2月に行われた天皇陛下在位30年の式典で、沖縄出身の歌手の三浦大知さんが歌った「歌声の響き」という歌でしょうか。
作詞は天皇陛下で、作曲が皇后陛下です。
だんじゅかりゆしぬ(だんじゅかりゆしの)
うたぐいぬ ふぃびち(歌声の響きと)
みうくる われがう(見送る笑顔が)
みにどぅ ぬくる(目に残っています)
だんじゅかりゆしぬ(だんじゅかりゆしの)
うたや わちゃがたん(歌がわき上がった)
ゆうなさちゅるしま(ゆうなが咲く島が)
ちむにぬくてぃ(心に残っています)
この歌は、陛下が皇太子の時に訪れた沖縄愛楽園(国立のハンセン病の療養施設)で、陛下が帰られる際に在園者の方々が「だんじゅかりゆし」と言う歌で見送ったことに感激し、後日お返しとして送られた歌でした。
ちなみに「だんじゅかりゆし」と言う歌は本来航海の安全を願う歌で、祝い事や旅立ちの時に歌われます。歌詞は以下の通りです。
だんじゅかりゆしや(とても縁起がいい日を)
いらでぃさしみせる(選んで目指していかれる)
ふにぬちなとぅりば(船の綱をとれば)
かじやまとぅむ(風は追い風を受けて進む)
陛下が琉歌を詠むきっかけとなったのは、1975年(昭和50年)の沖縄初訪問の直後のようです。
当時の沖縄は沖縄戦で辛い思いをした人が多く、天皇家に対して反感を持っていた人がたくさんいました。
そんな最中、当時皇太子だった陛下が沖縄を訪れたのです。
ひめゆりの搭を訪れた時には火炎瓶を投げつけられました。
しかし、陛下は帰京してすぐに、外間守善先生(沖縄文学研究の第一人者)を呼び、あるお歌を示して「これで琉歌になっていますか」と尋ねられたそうです。
はなよおしゃぎゆん(花を捧げます)
ふぃとぅしらんたましい(人知れず亡くなった多くの人の魂に)
いくさねらんゆよ(戦争のない世を)
ちむに にがてぃ(心から願って)
また、翌年の1976年(昭和51年)には、国際海洋博覧会の閉会式に参加する途中で伊江島に立ち寄られたそうです。ここは沖縄戦で島民の二人に一人は亡くなったといわれるほど戦禍が激しかったところでした。
そして、陛下は後日村民に歌を送られました。
ふぃるがゆるはたき(広がっている畑)
たちゅるぐしくやま(そびえ立っている城山)
ちむにしぬばらぬ(耐えることができない)
いくさゆぬくとぅ(戦世のことは)
この歌は歌碑となっているので、近日中に取材してこの記事にのせますね。
そして、1993年(平成5年)に第44回全国植樹祭で沖縄を訪れた際に賜った歌の歌碑が、護国神社の境内にあります。
みるくゆゆ にがてぃ(平和の世を願って)
すりたるふぃとぅたとぅ(そろった人びとと)
いくさばぬあとぅに(戦場の跡に)
まつぃゆ うぃたん(松を植えました)
さて、天皇陛下が詠まれた歌を紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
戦争で多くの命が犠牲になったこの島を気にかけて平和を祈る気持ちが詠まれていましたね。
新しい時代「令和」も、平和な世の中であるよう願ってやみません。
今日で「平成」が終わり、明日から「令和」になりますね。
それにちなんで、今回は今の天皇陛下が詠まれた琉歌をご紹介させていただきます。
若輩者の私が、畏れ多くも天皇陛下の歌をご紹介することに不快感をもつ方もおられると思いますが、お許しください。
どうしても許せそうにない方はここで引き返すことをおすすめします。
では、ものがたりをはじめましょう。
陛下が詠んだ琉歌で、みなさんの記憶に新しいのは、2月に行われた天皇陛下在位30年の式典で、沖縄出身の歌手の三浦大知さんが歌った「歌声の響き」という歌でしょうか。
作詞は天皇陛下で、作曲が皇后陛下です。
だんじゅかりゆしぬ(だんじゅかりゆしの)
うたぐいぬ ふぃびち(歌声の響きと)
みうくる われがう(見送る笑顔が)
みにどぅ ぬくる(目に残っています)
だんじゅかりゆしぬ(だんじゅかりゆしの)
うたや わちゃがたん(歌がわき上がった)
ゆうなさちゅるしま(ゆうなが咲く島が)
ちむにぬくてぃ(心に残っています)
この歌は、陛下が皇太子の時に訪れた沖縄愛楽園(国立のハンセン病の療養施設)で、陛下が帰られる際に在園者の方々が「だんじゅかりゆし」と言う歌で見送ったことに感激し、後日お返しとして送られた歌でした。
ちなみに「だんじゅかりゆし」と言う歌は本来航海の安全を願う歌で、祝い事や旅立ちの時に歌われます。歌詞は以下の通りです。
だんじゅかりゆしや(とても縁起がいい日を)
いらでぃさしみせる(選んで目指していかれる)
ふにぬちなとぅりば(船の綱をとれば)
かじやまとぅむ(風は追い風を受けて進む)
陛下が琉歌を詠むきっかけとなったのは、1975年(昭和50年)の沖縄初訪問の直後のようです。
当時の沖縄は沖縄戦で辛い思いをした人が多く、天皇家に対して反感を持っていた人がたくさんいました。
そんな最中、当時皇太子だった陛下が沖縄を訪れたのです。
ひめゆりの搭を訪れた時には火炎瓶を投げつけられました。
しかし、陛下は帰京してすぐに、外間守善先生(沖縄文学研究の第一人者)を呼び、あるお歌を示して「これで琉歌になっていますか」と尋ねられたそうです。
はなよおしゃぎゆん(花を捧げます)
ふぃとぅしらんたましい(人知れず亡くなった多くの人の魂に)
いくさねらんゆよ(戦争のない世を)
ちむに にがてぃ(心から願って)
また、翌年の1976年(昭和51年)には、国際海洋博覧会の閉会式に参加する途中で伊江島に立ち寄られたそうです。ここは沖縄戦で島民の二人に一人は亡くなったといわれるほど戦禍が激しかったところでした。
そして、陛下は後日村民に歌を送られました。
ふぃるがゆるはたき(広がっている畑)
たちゅるぐしくやま(そびえ立っている城山)
ちむにしぬばらぬ(耐えることができない)
いくさゆぬくとぅ(戦世のことは)
この歌は歌碑となっているので、近日中に取材してこの記事にのせますね。
そして、1993年(平成5年)に第44回全国植樹祭で沖縄を訪れた際に賜った歌の歌碑が、護国神社の境内にあります。
みるくゆゆ にがてぃ(平和の世を願って)
すりたるふぃとぅたとぅ(そろった人びとと)
いくさばぬあとぅに(戦場の跡に)
まつぃゆ うぃたん(松を植えました)
さて、天皇陛下が詠まれた歌を紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
戦争で多くの命が犠牲になったこの島を気にかけて平和を祈る気持ちが詠まれていましたね。
新しい時代「令和」も、平和な世の中であるよう願ってやみません。