歌碑悲話
引き裂かれた夫婦 その2 瓦屋節
おひさしぶりです。えのです。
前回の投稿が去年の11月だったので、だいぶ空いてしまいました。
子育てやらなんやらでついつい忙しくて、こんなことに・・・。
すみませんでした。
さて、今回は「引き裂かれた夫婦」シリーズの第2回目です。
今回は「瓦屋節(からやぶし)」を紹介します。
「瓦屋節」も沖縄の古典音楽の一つで、舞踊曲としても有名です。
なので、もしかしたらこのお話を知っているといる人も多いかも。
では、ものがたりをはじめましょう。
昔、瓦を焼く技術を持った朝鮮人が沖縄にやって来ました。
当時、琉球にはそんな技術を持っている人はいなかったため、王府はこの瓦匠のために住む所を与え、手厚くもてなしました。
はじめは瓦匠も満足していましたが、慣れない土地の気候風土、言葉の通じない不便さがあり、故郷を想いだしてしまいます。
帰りたい気持ちは日に日に増していき、ついに彼は王に帰国したいと伝えます。
王や役人たちは技術を持った彼をどうしても帰したくはありません。
なんとか引き留めようとしましたが、彼の意志は固く、頑として聞きません。
王と役人たちはなすすべもなく、困っていました。
ところがある日、急に彼が「ある琉球の女性を妻にしてくれるのなら、一生この琉球にいてもいい」と言い出したのです。
それを聞いて王は喜び、承諾します。
たったこれだけで、貴重な技術を持った人材がずっといてくれるのですから安いものだと、急いで瓦匠の言っていた女性を探しました。
しかし、調べてみると大変なことがわかりました。
瓦匠が妻にしたいといった女は、小禄間切当間村(おろくまぎりとうまむら)の百姓女で、すでに夫と子供が一人おり、まわりもうらやむほどのおしどり夫婦だったのです。
王や役人は悩みます。しかし、国の発展を考えると背に腹は代えられないと考えました。
この女性は夫と子供と無理やり引き裂かれて、瓦匠の妻にさせられてしまいました。
瓦匠は大喜びし、渡嘉敷と名乗り、琉球に帰化し、瓦を作り続けました。
ただ、無理やり瓦匠の妻にされた女は、夫や子どものことが忘れられません。
時々瓦屋の丘の上に登り、故郷の方角を見つめて、別れた夫や子どもを思い、次のような歌を詠んだといわれています。
からやつぃじ ぬぶてぃ(瓦屋の近くにある丘に登って)
まふぇんかてぃ みりば(南方にむかってみれば)
しまぬらどぅ みゆる(島の浦は見えるけど)
さとぅや みらぬ(愛するあの人は見えない)
実はこのお話の瓦匠は実在していて、「球陽」の外巻である「遺老説傅」のなかに「中国帰化人渡嘉敷三郎、真玉橋村の東に于て始めて陶瓦をやくのこと」や「東汀随筆」の「第二十五 瓦製造濫觴ノ事」には中国からやってきた瓦匠が帰化し、渡嘉敷と名乗り、瓦を造ったことについての記述があります。
ただ、その伝説どおり、夫と子供のいる女性を妻にしたことは書かれていません。
ただの伝説なのか、不都合な事実なので隠されたのか。それは今となってはわからないことです。
そして、歌に詠まれた「からやつぃじ」も実在しています。国際通りから沖映通りの方へ入ったところに駐車場があるのですが、その裏手の方です。
歌碑も建っているとのことですが、公園用地になっている上に、草が生い茂っているので入れません。
また、各地の民話のなかには子どもが大きくなって、瓦職人を殺して、仇を討ったとするもや、この歌を聞いた瓦職人が元夫を殺そうとするが、返りうちにあい、やむをえず、女をおいて唐に帰ったと続くものもあるようです。
いかがでしたか。
理由があって仕方ないにせよ、どうにも悲しい話でしたね。
次は平成最後ということなので、平成らしいものにします。平成の内に投稿するのでお楽しみに。
前回の投稿が去年の11月だったので、だいぶ空いてしまいました。
子育てやらなんやらでついつい忙しくて、こんなことに・・・。
すみませんでした。
さて、今回は「引き裂かれた夫婦」シリーズの第2回目です。
今回は「瓦屋節(からやぶし)」を紹介します。
「瓦屋節」も沖縄の古典音楽の一つで、舞踊曲としても有名です。
なので、もしかしたらこのお話を知っているといる人も多いかも。
では、ものがたりをはじめましょう。
昔、瓦を焼く技術を持った朝鮮人が沖縄にやって来ました。
当時、琉球にはそんな技術を持っている人はいなかったため、王府はこの瓦匠のために住む所を与え、手厚くもてなしました。
はじめは瓦匠も満足していましたが、慣れない土地の気候風土、言葉の通じない不便さがあり、故郷を想いだしてしまいます。
帰りたい気持ちは日に日に増していき、ついに彼は王に帰国したいと伝えます。
王や役人たちは技術を持った彼をどうしても帰したくはありません。
なんとか引き留めようとしましたが、彼の意志は固く、頑として聞きません。
王と役人たちはなすすべもなく、困っていました。
ところがある日、急に彼が「ある琉球の女性を妻にしてくれるのなら、一生この琉球にいてもいい」と言い出したのです。
それを聞いて王は喜び、承諾します。
たったこれだけで、貴重な技術を持った人材がずっといてくれるのですから安いものだと、急いで瓦匠の言っていた女性を探しました。
しかし、調べてみると大変なことがわかりました。
瓦匠が妻にしたいといった女は、小禄間切当間村(おろくまぎりとうまむら)の百姓女で、すでに夫と子供が一人おり、まわりもうらやむほどのおしどり夫婦だったのです。
王や役人は悩みます。しかし、国の発展を考えると背に腹は代えられないと考えました。
この女性は夫と子供と無理やり引き裂かれて、瓦匠の妻にさせられてしまいました。
瓦匠は大喜びし、渡嘉敷と名乗り、琉球に帰化し、瓦を作り続けました。
ただ、無理やり瓦匠の妻にされた女は、夫や子どものことが忘れられません。
時々瓦屋の丘の上に登り、故郷の方角を見つめて、別れた夫や子どもを思い、次のような歌を詠んだといわれています。
からやつぃじ ぬぶてぃ(瓦屋の近くにある丘に登って)
まふぇんかてぃ みりば(南方にむかってみれば)
しまぬらどぅ みゆる(島の浦は見えるけど)
さとぅや みらぬ(愛するあの人は見えない)
実はこのお話の瓦匠は実在していて、「球陽」の外巻である「遺老説傅」のなかに「中国帰化人渡嘉敷三郎、真玉橋村の東に于て始めて陶瓦をやくのこと」や「東汀随筆」の「第二十五 瓦製造濫觴ノ事」には中国からやってきた瓦匠が帰化し、渡嘉敷と名乗り、瓦を造ったことについての記述があります。
ただ、その伝説どおり、夫と子供のいる女性を妻にしたことは書かれていません。
ただの伝説なのか、不都合な事実なので隠されたのか。それは今となってはわからないことです。
そして、歌に詠まれた「からやつぃじ」も実在しています。国際通りから沖映通りの方へ入ったところに駐車場があるのですが、その裏手の方です。
歌碑も建っているとのことですが、公園用地になっている上に、草が生い茂っているので入れません。
また、各地の民話のなかには子どもが大きくなって、瓦職人を殺して、仇を討ったとするもや、この歌を聞いた瓦職人が元夫を殺そうとするが、返りうちにあい、やむをえず、女をおいて唐に帰ったと続くものもあるようです。
いかがでしたか。
理由があって仕方ないにせよ、どうにも悲しい話でしたね。
次は平成最後ということなので、平成らしいものにします。平成の内に投稿するのでお楽しみに。