お祝いの歌歌碑北部木遣り 2023年11月04日 令和の木曳式 その2 国頭サバクイ お久しぶりです。えのです。 去年11月の令和の木遣式 から、一年もたってしまいました。 日々の雑事でついついここまで来てしまいました。 すみません。 さて、今回は令和の小曳式でも用いられた歌「国頭サバクイ」についてお話したいと思います。 「国頭サバクイ」は琉歌の中の「木遣り」というジャンルになります。 「木遣り」というのは、山から材木となる木を切り出して運ぶときに歌われる歌のことです。 沖縄では結構珍しいようで、この「国頭サバクイ」と与那国島に残っているものしかないようです。 文献によって細かな違いはありますが、今回は国頭村奥間の国頭サバクイの歌碑の歌詞を載せます。 サー 国頭(くんじゃん)サバクイ *ユイシーユイシー サー 酒飲み(さきのみ)サバクイ ※ハイルレー ハーラーレー ユサ ハリガユイササ サー国頭山(くんじゃんやま)から * サー出(い)ざちゃる御材木(うぜむく)※ サー北(にし)ぬ御殿(うどぅん)ぬ * サー御材木(うぜむく)だやびる ※ サー長尾山樫木(なごやまかしち)や * サー重(うむ)さぬひからん ※ サー老(お)いで若(わか)さん * サー皆(んな)肝(ちむ)あわちょてぃ ※ サー鏡地浜(かかんじばま)から * サー載(ぬ)したる御材木(うぜむく) ※ サー北(にし)ぬ御殿(うどぅん)ぬ * サー御材木(うぜむく)だやびる ※ ハリガラーエーイ エイサーエーイ 国頭村奥間で伝わっている話によると、「サバクイ」というのは琉球王朝時代に国頭の山を管理していた地方役人の役職名だそうで、首里城の北の御殿の落成祝いの時に国頭の役人たちが披露する芸がなくて困っていたときに、サバクイが機転を効かせて歌に合わせて材木の切り出しや運ぶ仕草を演じたものと言われているようです。 なお、国頭村奥間の「道の駅 ゆいゆい国頭」の駐車場の近くには「国頭サバクイ」の歌碑もあるので、ぜひ訪れてみるのもいいと思います。 今回は「国頭サバクイ」のお話でした。 素朴な歌ですが、労働歌ならではの力強さやみんなで楽しく力を合わせてひとつのことをやる気持ちよさを感じることができます。 首里城も着々と復興が進んできています。 是非これを機会にいろいろと見たり、聞いたりしてみてください。 今回から詳しく知りたい人のために、最後の方に参考文献などを載せておきます。是非ご覧下さい。 また、今まで載せた記事の参考文献も随時更新予定です。お楽しみに。 それではまた。 参考文献 「南東歌謡大成 II 沖縄篇下」外間守善 角川書店 「琉球文学体系11 琉歌 上」波照間永吉 平良徹也 照屋理 ゆまに書房 「ーロマンをもとめてー 琉歌の里めぐり」青山洋二 郷土出版 YouTube 沖縄県文化協会 「沖縄の伝統芸能 国頭サバクイ」 リュウカツチュウ 琉球芸能活動中 「国頭サバクイ 首里城はここから始まった?琉球の一大プロジェクトを歌った名曲【沖縄の歌】」 元ちゃんねる 「【首里城復興記念】民謡「国頭さばくい」の真実!?」 コメント(0) Tweet
お祝いの歌北部木遣り 2022年11月02日 令和の木曳式 その1 こんにちわ。えのです。 11月になり沖縄も少し肌寒い日が続き、束の間の秋を感じるようになってきましたね。 さて、秋といえば「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」などがありますが、今年はとくに「文化の秋」というのはどうでしょうか。 実は、今後いつ見られるかわからないとても珍しいイベントがあるのです。 それは「令和首里城復興イベント いざ首里城 令和の木曳式」です。 開催期間は10月29日から11月3日までとなっています。 とくに明日11月3日の「木遣行列」は琉球王朝時代の木遣行列を再現していて、中山門跡から守礼門までの綾門大道を当時の衣装を身につけた人たちが練り歩きます。 ここで「木遣行列」について説明します。 木曳式は琉球王朝時代に首里城の造営や修復に使用する木を運ぶ際に行われた行事だそうです。 昭和33年の守礼門の復元や平成元年の首里城復元の際にも行われていて、今回の首里城復興でも実施することになっています。 この行列は旗や太鼓や法螺貝などの楽器を持った楽団に続いて、多くの人に引かれて材木が運ばれます。 このときに「国頭サバクイ」という歌に合わせて、心をひとつにして材木を引っ張って運ぶのです。 その素朴で勇壮な様子は一見の価値ありです。 また、今回使用される木はリュウキュウウラジロガシという琉球列島の固有種で、国頭村楚洲で採取され、樹齢98年、長さ約9メートル、重さ4トンです。 かつての首里城でも使われたリュウキュウウラジロガシですが、いまではこれだけの木はかなり貴重なのです。 その木を見るのも醍醐味のひとつでしょう。 この木曳式は今度はいつ行われるかわかりません。 興味がある方は、是非見に行ってみてください。 直接行けない方は、ライブ配信もある様なので、下の公式サイトから見てみてください。 あと、この木遣行列で歌われる「国頭サバクイ」については次回お話しますので、お楽しみに。 それではまた。 いざ首里城 令和の木曳式の公式サイト https://www.shurijo-fukkou.jp/kobiki/ コメント(0) Tweet
小話 2022年10月13日 言葉よ、花であれ。 お久しぶりです。 えのです。 子育てなどで忙しく、なかなか投稿できずにおりました。 すみません。 さて、今回は最近の沖縄に関してのことで、どうしても少し話をしてみたいと思い、このテーマにしました。 まあ、ひとりの沖縄のおばちゃんの戯言です。 それで良ければ聞いてください。 まずは少し沖縄の言葉と芸能についてお話します。 沖縄の言葉、つまり琉球方言は一説によると、日本語の古い言葉だと言われています。 例えば、美しいを意味する「ちゅら」は、古い日本語の「清ら」からきていたり、トンボを意味する「あーけーじゅー」は「あきづ」からきていると言われています。 日本の昔の都(奈良や京都)から沖縄にたどり着いた言葉は沖縄風に変化して、今のような琉球方言になったのです。 そして、沖縄の先人たちはその言葉を使ってウタを作りました。 内容は多岐にわたり、喜怒哀楽、祈り、政治、宗教観、教訓、スキャンダルなどのたくさんのことがらがあります。 身分や男女関係無くたくさんの人たちがウタを作りました。 さらに、そのウタに曲をつけて歌い、振り付けをつけて踊り、芸能が生まれました。 資源も乏しく、小さい国である琉球は外交の手段として芸能を保護し、発展させていきました。 つまり、芸能は琉球王国を支え、国を守ることになりました。 そして、今でもこの島ではたくさんのウタが歌い継がれ、新しい歌も生まれて、人々の心を動かしています。 そのウタたちは強くて優しくて美しくて、まさに「言葉の花」です。 このように、沖縄の人々は言葉を様々な事柄を彩る「花」として使い、その言葉にはやさしく微笑む力があります。 さて、最近、巷では言葉で相手を「論破」するということが流行りのようで、様々なメディアで「論破」する場面が見られます。 たしかに言葉は戦うための「剣」であり、守るための根拠「盾」でもあります。 それも言葉の正しい使い方です。 しかし、それはあくまで使い方のひとつに過ぎません。 言葉を花とする心。 それはあるがままを受け入れ、昇華させ、おおらかに微笑むこと。 遊び心を忘れないこと。 力は弱いかもしれないけれど、誰かの心をそっと動かすことができるものです。 それが沖縄の人々の強さと優しさです。 私はそれを誇りに思っています。 私は偉い先生でもないただの主婦なので、難しいことは言えないし、沖縄について全て分かっているわけでもありません。 ただ、私はひとりのうちなーちゅとして、先人たちが残した花を伝えていきたいと思います。 そして、その花を私のこどもにも伝えていきたいと思っています。 コメント(0) Tweet
簡単な解説人物伝 2022年06月11日 琉歌の中のオノマトペ お久しぶりです。えのです。 いろいろありましたが、再開させていただきます。 よろしくお願いします。 さて、今回は「オノマトペ」に注目して琉歌見ていこうと思います。 「オノマトぺ」とは、実際の音や物事の状態や動きを表した言葉を言います。 例えば、雨が降っている音を「ザーザー」とか、犬の鳴き声を「ワンワン」と言ったり、楽しみな気持ちを「ワクワク」と言ったりすることです。 どんな歌があるのでしょうか。 ものがたりをはじめましょう。 沖縄方言は標準語に比べてオノマトペが多く、ユニークなものとなっています。 一部を紹介すると、 風が強く吹いている様子 → バーバー 血が出ている様子 → ゴーゴー 太陽が照りつける様 → クヮラクヮラ ヤギの鳴き声 → ベーベー などがあります。 また、沖縄方言では「名詞+オノマトペ」という使い方が多いです。 上にある「ゴーゴー」の前に「ちー(血)」をつけて「チーゴーゴー」、心を意味する「チム」に「ドンドン」をつけて「チムドンドン」というようにです。 琉歌の中にもオノマトペを使ったものがいくつかあります。 しかし、全体的に数が多くなく、その大半が面白おかしく詠んだ狂歌です。 理由は詳しくはわかりませんが、おそらく使い方によってはカッコ悪くなってしまうからだと思います。 オノマトペは音や感覚をはっきり伝えることができますが、使い方を間違えると歌の余韻や風流さを奪ってしまったり、幼稚な感じになってしまうのです。 たとえば、恋人に会えずに泣いている様子を「枕を濡らす」というとロマンチックに聞こえますが、「シクシク泣く」というと幼稚でなんだか前のに比べるとカッコ悪く感じませんか?そういうことです。 最後に面白いオノマトペを使っている琉歌を5つ紹介します。 まずは有名どころを一つ。よしやの歌です。 しまん とぅなどぅなとぅ(島中がしんとして静かで) くばん すゆすゆとぅ(こばの葉も風にかすかに揺れていて) つぃなじあるうしぬ(繋いである牛が) なちゅら とぅみば(鳴いていると思うと・・) ここでは「とぅなどぅな(しんと静かな様子)」と「すゆすゆ(そよそよ)」が使われています。 オノマトペを二つ使っていますが、それがかえって故郷の素朴さとおおらかさが伝わってきます。 この歌はよしやが幼いときの歌だと言われていて、牛を盗まれた時にこの歌を詠んだところ、牛が鳴いたので牛を取り戻すことができたと伝えられています。 いかん つぃらりらぬ(イカもつれないし) いゆん つぃらりらぬ(魚も釣れない) さちふぃじゃぬ うちに(崎樋川の沖の船の上で) ぬるんとぅるん(眠気が差してうとうとしている) ここでのオノマトペは「ぬるんとぅるん(眠気が差している。うとうと)」です。 船の上でのんびりうとうとしている様子が伝わってきます。 くゎんわ やまとぅぐち(官話〈北京語〉と日本語) うちな むぬがたい(沖縄語で話をしている) ちゅい はなしばなし(それぞれ話している) ぴりんぱらん(外国語をペラペラ喋っている) 中国語、日本語、沖縄語が飛び交っている様子を詠んだ歌です。 琉球王朝時代は日常会話は沖縄語を使いますが、士族などは教養として中国語や日本語もまなびました。 ここでのオノマトペは「ぴりんぱらん」です。 実際にその三つの言葉を同時に聞いたら、このように聞こえたんでしょうか。 面白いオノマトペです。 なまぬ ずりぐゎたが(今のジュリ〈遊女〉たちが) ふぃちゅる さんしんや(弾く三線は) うちゃくから じんぐゎ(お客からお金を) とぅてんとぅてん(とったとったと鳴っている) ここでのオノマトぺは「とぅてんとぅてん」です。 三線の音を表していますが、同時に取ったという意味の「とぅてん」をかけて詠んでいます。 いかがでしたか。 それぞれ効果的にオノマトペを使っていて面白い歌でしたね。 このほかにもいろいろなものがあるので、調べてみると面白いと思います。 では、今回のものがたりはおしまいです。 コメント(0) Tweet
2022年06月04日 再開いたします おひさしぶりです。 えのです。 いろいろありまして、約一年ぶりの投稿になります。 その間もいろいろな方が見てくださり感謝しています。 この度またこのブログを再開しようとおもいます。 次の投稿は6月11日(土)から始めます。 次のテーマは「琉歌の中のオノマトペ」となっています。 是非ご覧ください。 また、新たに沖縄にある文学碑を紹介するブログを立ち上げる予定です。 準備が出来次第、このブログでもお知らせします。 今後とも「えのさんの琉歌ものがたり」をよろしくお願いします。 コメント(0) Tweet
小話 2021年05月26日 同じ月を見ている お久しぶりです。えのです。 今日は月食とスーパームーンでしたね。 みなさんはご覧になりましたか? 私は娘と見ました。 娘は月とか星が好きで、夜空を見上げて「星があったよ!」とか「月がまんまる」とか言います。 今日は「月が黒い」「月がない」とか言いながら月を見ていました。 その時、残業中の旦那からラインで月の写真が送られてきました。 休憩がてら見ていたようです。 その時ふとひとつの琉歌を思い出しました。 とぅけや ふぃじゃみてぃん(海を遠く隔てても) てぃるつぃちや ふぃとぅちぃ(照る月はひとつだ) ありん ながみゆら(あの人も眺めているのかな) きゆぬ すらや(今日の空を) この歌は浜千鳥節の歌詞です。 浜千鳥節は旅にでて故郷をしのぶ歌で、軽快なメロディーの歌です。 昔の人も、離れていても同じ月を見ていると思うと、その人と心が繋がっているように思えたのでしょう。 私の好きな琉歌のひとつです。 今はコロナが蔓延して、今日沖縄ではついに300人を越えてしまいました。 家族や友人に会えなかったりする人も多いでしょう。 辛かったり、寂しかったり、みんないろいろな思いを抱えていると思います。 だけどみんな同じ空の下。 あなたを思いながら月を眺めている人はきっといます。 そして、明けない夜はありません。 きっと一緒に朝日を浴びて、笑いあえる日がくるはずです。 だから、辛かったり寂しかったりしたら、この歌のように空を見上げて大切な人を思い浮かべてみてください。 心が少しあたたかくなって、少し元気がでてくるはずですから。 コメント(0) Tweet
人物伝歌碑 2021年01月13日 牛の歌 明けましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いいたします。 さて、今年は丑年ですね! 実は私の干支は丑なんですよ。(年齢バレましたね) ということで、今回は牛についての歌を2つ紹介します。 牛の歌とはどういう歌なのか? それではものがたりをはじめましょう。 まずは、琉球古典音楽の「特牛節(くてぃぶし)」の本歌です。 「特牛節」は古典音楽の中でもポピュラーな歌で、よくお祝いでも歌われます。 おそらくこの歌で知った方もいらっしゃるはないでしょうか? とぅちわなる まつぃぬ(常磐なる松は) かわるくとぅ ねさみ(変わることはないだろう) いつぃんはる くりば(いつも春が来れば) いるどぅ まさる(緑の色がいよいよまさるばかりだ) この歌は北谷王子が詠んだ歌です。 古今和歌集にも似たような歌があり、おそらくそこから感化されて詠んだのではないかと、琉歌全集に書かれていました。 たしかに格調高く、おめでたい日にぴったりな歌です。 しかし、この歌は「特牛節」の本歌ではありません。 この歌の本歌は次の歌です。 うふにしぬ くてぃや(おほにし〈読谷山間切の古名〉の特牛は) なざちゃらどぅ すぃちゅる(なざちゃらが好きであるが) わすぃた わかむぬや(われわれ若者は) はなどぅ すぃちゅる(花が好きだ) 「特牛」は強健で重荷を負うことのできる雄牛のことです。 「なざちゃら」は琉歌全集では、「草の葉か木の葉か不明。本によって『なづち葉』『なさきやら』としたものがある。」と書かれていて、よくわかっていません。 素直に見ると、ただ立派な牛はなざちゃらが好きで、若者は花が好きと詠んだだけなのですが、この歌には裏があります。 実は若者が好きな花はものをいう花、つまり女性のことを言っているのです。 そのためか、お祝いで歌うには品がないと見られ、最初に紹介した「とぅちわなるまつぃぬ」の歌が歌われるようになったようです。 ちなみにこの歌ですが、読谷の残波岬と伊江島に歌碑があります。 写真は残波岬の歌碑です! 晴れている日は眺めも素晴らしく、灯台にのぼれたり散歩したりできるので是非行ってみて下さい。 次に紹介するのは遊女のよしやの歌です。 「よしやチルー」や「ゆしやチルー」という名前が一般的ですが、琉歌全集やいくつかの琉歌の研究書には「よしや(発音はゆしや)」と表記されています。 これについてはいろいろな説がありますが、説明するとかなり長くなります。 機会があればお話させていただきますが、今は琉歌全集にならい「よしや」とさせていただきます。 また、よしやの簡単な生い立ちや死後に詠んだという伝説の歌は「幽霊が詠んだウタ その1 よしや」https://enosan.ti-da.net/e9796871.htmlにあるので参考になさって下さい。 しまん とぅなどぅなとぅ(島中がしんとして静かで) くばん すゆすゆとぅ(こば〈シュロ科の植物。沖縄の拝所などに多く生えている〉もそよそよと風に吹かれて) つぃなじある うしぬ(どこかに繋いである牛が) なちゅら とぅみば(鳴いているかと思うと) 「とぅなどぅな」や「すゆすゆ」など擬音の響きが豊かで、さすがよしやといった歌です。 そして、この歌には伝説があります。 それは、まだよしやが幼く、仲島の遊郭に売られる前のことです。 家にいたよしやは牛泥棒に家の牛が盗まれたことに気づき、この歌にはを詠んだところ、牛が鳴いて、場所を知らせたのです。 そして、よしやは牛を無事に取り返しました。 さて、今度は牛の歌を紹介させていただきました。 今年はもーっといい年になるといいですね。牛だけに。 では、これでものがたりはおしまい。 また次回に。 コメント(2) Tweet
小話季節の歌 冬 2020年12月30日 雪の歌 その2 試練をこえたら さて、今回は雪の歌その2です。 前回は雪の歌の①~③までを紹介しましたが、今回は④辛いものや試練を雪に例えるを紹介します。 それでは、ものがたりをはじめましょう。 前回は雪の美しさや幸福の象徴としての雪を紹介しましたが、雪がもたらすものはいいことばかりではありません。 雪は冷たくて、草木も枯らします。人も動物たちもただただ堪え忍ぶしかないのです。 みちてぃらす つぃちや(道を照らす月は) くむに かくりたい(雲に隠れてしまった) いちゃすぃ わきでぃゆが(どうやって踏み分けて出ようか) ゆちぬ やまじ(雪の山路を) これはおそらく頼みとする師を失ったときの歌だろうと言われています。 道を照らす月もなく、ただただ寒い雪の山道を迷っている絶望感がつたわります。 あわり くとぅぬふぁん(哀れで言の葉も) しむに かりはてぃてぃ(霜に枯れはてたように尽き) わちむ さらさらとぅ(私の心はさらさらと) ゆちどぅ ふゆる(雪が降ったかのようだ) 詠んだ人は保栄茂親方(びんうぇーかた)という人で士族です。 この歌は大切な人との別れで、心が凍ってしまうほどの悲しみを詠んだ歌ですが、言の葉が霜に枯れ果てるという表現は、まさに和歌の縁語のようです。 このように冷たくて、寂しくて、辛い様子を詠うための雪もあるのです。 そして、最後に紹介するのは雪を辛いものとしていますが、その先には希望もあるということを詠んだ歌です。 今年は新型コロナウイルスが猛威をふるい、私たちの生活も一変しました。 今なお、たくさんの人が辛い思いをしています。 そんな今年だからこそ、この歌を紹介して、来年は笑って過ごせる年になるように願います。 うみでんすぃ ゆちに(梅でさえ雪に) つぃみらりてぃ あとぅどぅ(閉じ込められてあとにこそ) はなん にうぃ ましゅる(花も匂いが一層増すもの) うちゆ でむぬ(この世もまさにその通りだ) この歌は古典音楽の赤田花風という歌でも知られています。 辛い思いをしてこそ、花はかぐわしく美しく咲くのです。 今は雪の下で耐えているような辛さでも、きっといつかは春がやって来て、雪を溶かし、花を咲かせることができると思います。 来年は嬉しいことが雪のようにつもり、そして春の花のように朗らかに咲ける年がくることを祈願して、今年の投稿を締めくくります。 では、ものがたりはおしまいです。 皆さま良いお年を。 コメント(0) Tweet
お祝いの歌季節の歌 冬 2020年12月29日 雪の歌 その1 喜びと憧れ お久しぶりです!えのです。 沖縄も年末に近づくと寒くなり、北風が身に染みてきますね。 さて、今回は冬の歌ということで「雪」の歌を紹介します。 「沖縄なのに雪の歌?」と思った方もいらっしゃるでしょう。 たしかに沖縄は亜熱帯気候の島なので、基本的に雪は降りません。 まれにあられが降ることがあるくらいです。 しかし、雪が降らない沖縄に、なぜか雪の琉歌が26首(内4首はあられ)があるのです。 では、なぜ雪の歌があるのか? 沖縄の人の雪への思いとは? ものがたりをはじめましょう。 先ほども言ったとおり、まれにあられが降るくらいで、沖縄では雪は降りません。 今では移動手段も発達し、旅行などで雪を見たという沖縄県民も多いですが、昔の人は雪を見たことがある人がほとんどいなかったと思われます。 しかし、王族や士族などは中国や日本の文献を読んだり、江戸上りなどで実際に見たりして「雪」のことを知ったようです。 そのためか、雪を詠んだ歌のうち大半は作者がわかっていて、いずれも王様や王族、士族でした。 雪の歌は大きく分けて以下の4種類に分けられます。 ①雪が降る様や様子をありのまま詠む ②白いものを雪に例える ③憧れや美しいものとしての雪 ④辛いものや試練を雪に例える まずここでは、①~③までを解説します。 全部解説するのはかなり長くなるので、それぞれ一首ずつ取り上げて紹介していきます。 まず、①雪が降る様や様子をありのまま詠んだ歌です。 まずはこの歌、 うふぐいぬ すぃだま(大庫理〈王城の表座敷〉の簾を) まちあぎり わらび(巻き上げなさい、童よ) ゆかぶ しにゅくゆる(豊年の支度をする) ゆちぬ ふゆさ(雪が降っているよ) 城の庭に雪が降っていることをそのまま詠んでいますね。 これを詠んだのは護得久朝常(ごえくちょうじょう)という人で士族です。 なので、この歌も白楽天の「香炉峰の雪は簾をかかげて見る」という漢詩を連想して作ったように思います。 当時の士族は漢文や和文学を学んでいるので、雪の歌はその中から想起した歌も多く感じます。 ちなみに沖縄では霰が降るほどの寒い年は豊作になったそうです。なので、雪は豊作の象徴としても詠まれているものも多いのです。 次に、②は白いものを雪に例える歌です。 なんじゃうす なかい(銀の臼の中に) くがにじく たてぃてぃ(黄金の軸をたてて) はかてぃむてぃ あまる(はかってみると盛って余っるほどの) ゆちぬ まぐみ(雪のような真米だ) この歌では、白いお米を雪と例えています。 白いものを雪に例えた歌は全部で8首あり、うち6首は白いお米を例えています。 そして、お米以外のものとしては「雪の歯茎」と「雪の翁」があります。 いずれも若い女性の真っ白な歯と徳のあるお坊さんの真っ白な頭とひげを表しています。 次に③憧れや美しいものとしての雪です。 んかてぃくる とぅしゃ(向かってくる年は) ゆがふてい いちゅてぃ(豊年になると言って) わらてぃ ながみゆる(笑って眺めている) ゆちぬ ちゅらさ(雪の美しさよ) 3首ありますが、2首が「雪のちゅらさ」となっています。 雪の美しさを愛でつつ、うれしいことが積もっていくことを連想している様子はほほえましいものがあります。 さて、駆け足で紹介してきましたが、いかがでしたか? 沖縄では見ない雪への憧れや雪が知らせてくれる幸福を詠んだ歌が多くあることがわかりました。 しかし、今回は紹介していない④辛いものや試練を雪に例えるがあります。 これは次回に紹介いたします。 コメント(0) Tweet
恋笑い話人物伝季節の歌 夏 2020年06月01日 王子とヤキモチ焼きな愛妾 沖縄はコロナはとりあえず一段落したようですが、梅雨に入り、雨ばかりでジメジメしています。 さて、今回はこの雨に関係する話をご紹介します。 王子とヤキモチ焼きな愛妾のお話です。 さあ、ものがたりをはじめましょう。 第二尚氏王朝の五代目 尚元王の三男に尚久という方がおりました。 彼は金武間切(現在の金武町・恩納村・宜野座村・名護市の一部)を領地にしていたので、大金武王子と呼ばれていました。 さて、彼には妻とは別に美しい妾がおりました。 尚久は彼女をとても愛していましたが、ひとつ問題がありました。 彼女はとてもヤキモチ焼きだったのです。 どうやら彼女の出身は田舎だったようで、思ったことをはっきりと言う性格だったようです。 しかし、首里の貴族たちから見れば教養がないからと見られていました。 ある日、尚久は夜遅くに愛妾のところに行きました。 しかし、愛妾はすごく不機嫌そうです。 顔をみるやいなや、こう詠みました。 ぐすぃくから うりてぃ(お城からお出になって) さるとぅちぬ かじり(申の時〈午前4時頃〉となっています) たるに ゆくさりてぃ(誰に誘われて寄って) なまでぃ もちゃが(今の時間になったのですか) なかなかの嫌味っぷりです。 どうやら彼女は尚久が正妻と一緒にいたと疑っているようです。 王子は慌てて答えます。 ゆくさりん あらん(誘惑されたのでもない) ふぃかさりん さらん(引っ張られたのでもない) しぐく あみふてぃどぅ(すごく雨が降っていて) なまでぃ つぃちゃる(今着いたのだ) しかし、彼女は冷たい目で睨み付けてさらに詠みます。 しぐく あみてぃすぃん(すごく雨が降っていても) とぅちぬまどぅ ふゆる(一時の間降るのです) ちゃはるふる あみぬ(いつまでも降る雨が) しけに あるえぃ(この世界中にありますか) なかなか鋭いですね。 さてさて、このあとはどうなりましたやら。 かかれていないのでわからないのですが、想像してみるのも面白いですね。 では、このものがたりはおしまいです。 ちなみにこの尚久のお父さんである尚元王もエピソードがあります。 はじまりのウタ 「かぎやで風」 その1で紹介していますので、是非ご覧下さい。https://enosan.ti-da.net/e9743453.html それでは、また。 コメント(0) Tweet