小話
私が琉歌にはまったきっかけ
今回の記事で30件目になりました!
いつも私のつたない文を読んでいただいてありがとうございます。
これからも頑張りますね。
さて今回は小話として、私が琉歌にはまったきっかけとなった一冊の本を紹介したいと思います。
その本の名前は「標音評釈 琉歌全集」
難しそうなタイトルですよね。
作者は琉歌や芸能の研究者の島袋盛敏先生と琉歌の音韻表記した翁長俊郎先生。
見た目も凶器になりそうなほどの厚みです。



これは難しい話になるぞと引き返そうと思う方もいそうですね。
大丈夫です。面白い話になりますから!
・・・・うん、多分。
それでは、ものがたりをはじめましょう!
この本に出会ったのは今から十数年前。
私が大学生の時でした。
私は民話に興味があったので、民話について勉強しようと思い、とあるゼミに入りました。
そのときの課題で、各自でキーワードを決め、その琉歌をこの本から探して、考察するというものがありました。
当時の私は琉歌についてはほとんど興味がなかったので、図書館ではじめて琉歌全集を見たときはげんなりしたものですが、読んでいくとこれが結構面白かったのです。
とくにそれぞれの琉歌の評釈が面白いのです。
たとえば、360番の
つぃゆでんすぃ はなに
くくるあてぃ ふゆい
ふぃとぅに しなさきぬ
あらな うちゅみ
という琉歌の評釈は、
「露でさえ心あるもののように、花に降ってきれいに咲かせておる。まして露にまさる人間にして情がないということがあろうか。」
と、まずはこの歌の意味を書いています。
普通ならここで終わるだろうが、評釈を書いた島袋盛敏先生はこう続けます。
「花は露の恵みを受けて咲き、女性は男性の愛を受けて幸福になる。この法則に背いて、女性に愛を注がない男性は馬に蹴られるがよい。」
そう、評釈に自分の考えや意見を書いているのです。
これが、かなり痛快で面白いのです。
ほかにも恋人と一線を越えようかどうしようか迷っている男の歌では、「ぐずぐずせずに早く一緒に寝てしまえばいいのに、これから先どうなるかと案じているとは、あほかいなあ。」といってみたり、反対のことを言ってウケをねらった狂歌には「おかしくもなければおもしろくもない。」とバッサリ斬っていたりします。
極め付きは、
しかいんや からてぃ
たちなちゆ しみてぃ
わった ゆたでぃまや
いった はらり
という歌では、
「臆病な犬を飼って、毎晩立ち鳴きさせているから、私の家では女房共が何か凶兆ではないかと心配して、巫女を頼んで魔除けのお願いをさせた。そのためにかかった巫女手間の費用はお前さん方で払ってくれ。」
と意味を書き、細かい歌の注釈のあと、
「その時、犬の飼主が一首ありそうなものだが、ないのは物足りない。そこで私が代って一首物して見た。『わつたしか犬の あべたこと何やが、いつたしかとじの騒ぎまぎさ』わが家の臆病犬が鳴いたからとて何程のことがあるか、それよりはお前さんの臆病女房の騒ぎが大きすぎるんだよ。エヘン、どんなもんだい。」
と返歌までしています。
島袋先生のドヤ顔が見えてきそうですね。
ガチガチの研究書なのに、ところどころにある痛快な島袋節ともいえる物言い。
読んでいるうちに琉歌に興味をもち、今に至ります。
いかがでしたか?
ただ、残念なことにこの本は絶版で、本屋さんで売っていません。
購入するには沖縄本を専門に取り扱っている古書屋さんに頼むしかないのですが、数が少なく人気もあるため、なかなか手に入れるのは難しいでしょう。
読むには図書館に行って読むことをオススメします。
私はいつかこの本が復刻してくれることをのぞんでいるのですが。
では、今回のおはなしはこれでおしまいです。
それではまた。
いつも私のつたない文を読んでいただいてありがとうございます。
これからも頑張りますね。
さて今回は小話として、私が琉歌にはまったきっかけとなった一冊の本を紹介したいと思います。
その本の名前は「標音評釈 琉歌全集」
難しそうなタイトルですよね。
作者は琉歌や芸能の研究者の島袋盛敏先生と琉歌の音韻表記した翁長俊郎先生。
見た目も凶器になりそうなほどの厚みです。



これは難しい話になるぞと引き返そうと思う方もいそうですね。
大丈夫です。面白い話になりますから!
・・・・うん、多分。
それでは、ものがたりをはじめましょう!
この本に出会ったのは今から十数年前。
私が大学生の時でした。
私は民話に興味があったので、民話について勉強しようと思い、とあるゼミに入りました。
そのときの課題で、各自でキーワードを決め、その琉歌をこの本から探して、考察するというものがありました。
当時の私は琉歌についてはほとんど興味がなかったので、図書館ではじめて琉歌全集を見たときはげんなりしたものですが、読んでいくとこれが結構面白かったのです。
とくにそれぞれの琉歌の評釈が面白いのです。
たとえば、360番の
つぃゆでんすぃ はなに
くくるあてぃ ふゆい
ふぃとぅに しなさきぬ
あらな うちゅみ
という琉歌の評釈は、
「露でさえ心あるもののように、花に降ってきれいに咲かせておる。まして露にまさる人間にして情がないということがあろうか。」
と、まずはこの歌の意味を書いています。
普通ならここで終わるだろうが、評釈を書いた島袋盛敏先生はこう続けます。
「花は露の恵みを受けて咲き、女性は男性の愛を受けて幸福になる。この法則に背いて、女性に愛を注がない男性は馬に蹴られるがよい。」
そう、評釈に自分の考えや意見を書いているのです。
これが、かなり痛快で面白いのです。
ほかにも恋人と一線を越えようかどうしようか迷っている男の歌では、「ぐずぐずせずに早く一緒に寝てしまえばいいのに、これから先どうなるかと案じているとは、あほかいなあ。」といってみたり、反対のことを言ってウケをねらった狂歌には「おかしくもなければおもしろくもない。」とバッサリ斬っていたりします。
極め付きは、
しかいんや からてぃ
たちなちゆ しみてぃ
わった ゆたでぃまや
いった はらり
という歌では、
「臆病な犬を飼って、毎晩立ち鳴きさせているから、私の家では女房共が何か凶兆ではないかと心配して、巫女を頼んで魔除けのお願いをさせた。そのためにかかった巫女手間の費用はお前さん方で払ってくれ。」
と意味を書き、細かい歌の注釈のあと、
「その時、犬の飼主が一首ありそうなものだが、ないのは物足りない。そこで私が代って一首物して見た。『わつたしか犬の あべたこと何やが、いつたしかとじの騒ぎまぎさ』わが家の臆病犬が鳴いたからとて何程のことがあるか、それよりはお前さんの臆病女房の騒ぎが大きすぎるんだよ。エヘン、どんなもんだい。」
と返歌までしています。
島袋先生のドヤ顔が見えてきそうですね。
ガチガチの研究書なのに、ところどころにある痛快な島袋節ともいえる物言い。
読んでいるうちに琉歌に興味をもち、今に至ります。
いかがでしたか?
ただ、残念なことにこの本は絶版で、本屋さんで売っていません。
購入するには沖縄本を専門に取り扱っている古書屋さんに頼むしかないのですが、数が少なく人気もあるため、なかなか手に入れるのは難しいでしょう。
読むには図書館に行って読むことをオススメします。
私はいつかこの本が復刻してくれることをのぞんでいるのですが。
では、今回のおはなしはこれでおしまいです。
それではまた。