沖縄には「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という言葉があります。
意味は、命こそ宝。命が一番の宝物だということです。
沖縄で生まれ育った人ならよく聞かされる言葉ですが、実はこの言葉が琉歌から来ているということを知っている人はあまりいません。
では、この言葉が生まれた経緯を解説しましょう。
1930年3月の那覇市。
山里永吉という人が書き下ろした劇が上演されます。
その劇の名は「首里城明渡し」
出演者は伊良波尹吉(いらはいんきち)、真境名由康(まじきなゆうこう)など、沖縄芝居の名優が勢ぞろいしていました。
この劇は琉球処分を題材にしたものでした。
舞台は1875年頃琉球。第二尚氏最後の王 尚泰の時代です。
当時、琉球は明治政府から日本への帰属を迫られていました。
役人たちも、日本への帰属を進める親日派と、琉球王国を保つために中国に助けを求めようと主張する親中国派と別れて議論がなされ、尚泰も悩んでいました。
しかし、なかなか態度を明らかにしない琉球にしびれを切らし、明治政府は琉球処分官として松田道之を派遣。
松田は軍隊を引き連れて首里城に入り、廃藩置県を通達して、首里城の明け渡しと尚泰の上京を命じ、尚泰は東京に連れて行かれました。
さて、物語の終盤、尚泰が東京へ向かう船に乗るとき、臣下にむけてこの歌を詠みました。
いくさゆぬ しまち(戦の世が終わり)
みるくゆぬ やがてぃ(幸せな世がやがてやってくる)
なじくなよ しんか(臣下たちよ嘆くな)
ぬちどぅたから(命こそ宝なのだから)
ここで言う命とは臣下たちだけではなく、この地に生きる民草、そして王自身のことです。
こうして、ほぼ無抵抗で琉球処分はなされました。
この劇は1ヶ月のロングランとなるほど大人気となり、「命どぅ宝」という言葉も広まっていきました。
そして、その劇の15年後。沖縄戦がはじまりました。
自分の命や大切な人の命を守れないだけでなく、人の命を奪ったりしなければならない状況でした。
まさにこの世の地獄。戦の世でした。
そして、それから73年経ちました。
今日は慰霊の日です。
私たちは「命どぅ宝」を意味を改めて考えて行かなければなりません。
この島の人たちは自分の命だけではなく、大切な人の命、そのまわりの人の命を大切にします。
どんなに辛い状況に置かれても、相手を尊重し、人に優しくーーー。
そんな沖縄の教えを誇りをずっと伝えていきたいと思うのです。
私も来月お母さんになります。
この子にも「命どぅ宝」を伝えていき、いつの日か本当の「みるくゆ(幸せな世)」を生きてほしいと願いつづけます。
今日は若干説教くさくなってしまいましたね。
ご勘弁を。